規格外な母の教え#02
「いいね、公務員。安定してて。」
市役所に入庁した私に向けられる、定番の言葉。
確かに、かつて母にそう刷り込まれた私は、その「安定」を手に入れることが人生の最適解だと信じていました。
🫧 SowaのProfile
・1998 年生まれ
・妊娠 21 週目
・中国人の夫と二人暮らし(+おなかの赤ちゃん)
・地方在住
・元市役所職員 → ブランド立ち上げ中のワーママ
1. ビデオの主役はいつも妹、私は「顔面ブス」!?
私の幼少期を語る上で欠かせない、ちょっと切ない思い出。
私には妹が一人いるのですが、物心ついた頃から母のアテンションはすべて妹のもの。当時のホームビデオを見ると一目瞭然です。
画面いっぱいに映る妹。そこに私が「ママ!私も見て!」と割り込むと、プツンとビデオが止まるんです。数秒だけ私が映ったあと、またプツン。次の瞬間には、再び妹が主役の映像に切り替わっているという徹底ぶり!笑
挙句の果てに、母からはこんな衝撃の宣告を受けました。
「妹ちゃんは顔が可愛いから性格が悪くてもいいの。でもあなたは顔がブスだから、性格が可愛くないと「本当のブス」になっちゃうよ」
……うーん、なるほど!笑
幼いながらに傷つくというより、ハッと現実を見せられ「これからの生き方」を真剣に考えさせられた、私の原点。大学を卒業するまでの母の教えについては、こちらに詳しく書いていますので、ぜひご覧ください!笑
▶「あなたはブスだから、性格くらい可愛くしなさい」 規格外な母の教えが、私を首席卒業×行動力 200%オバケに変えた👇
https://note.com/embed/notes/n53bec5c3974a
2. オリンピックの熱狂と、市役所で見つけた「人のペイン」
卒業後に選んだのは、自営業が多い親戚一同がざわついた、安定の代名詞「市役所職員」という道でした。
ところが、フタを開けてみれば、そこにあったのは「安定」とは程遠い、想像を絶するほど熱くて泥臭い日々。
私は中学生の頃に東北の大震災を経験しています。その時の記憶が私の原動力。
「もっと市民が安心して暮らせる街にしたい!」 「不便な道路の幅を広げて、みんなが快適に過ごせるようにしたい!」 なんなら「私が市長になって、 この街を変えてやる!!!」
そんな熱すぎる野望と、大学生から続けている消防団活動の実績(加入の戦略的理由は後日書きます!)を胸に入庁しました。
……ところが、現実はそう甘くはありません。
コロナまっただ中で、研修はことごとく中止やオンライン。切磋琢磨するはずの同期とも顔を合わせる機会がほぼなく、飲み会なんて夢のまた夢。配属先は本庁舎から離れた「公民館」。同期たちが本庁舎でコミュニティを広げる中、私はアクリル板越しに一人、孤独と向き合う日々。
さらに追い打ちをかけたのが、母の「公務員最強説」とのギャップでした。
「市役所なら 8 時 5 時の定時上がりだし、土日もしっかり休めるから、女の子でも結婚してから安心よ」
……お母さん、それ全部嘘だったよ!!!(涙)
いざ入庁してみれば、定時が過ぎてから始まる会議、商工会議所や地域団体との熱い打ち合わせ、地域の大先輩方(おじいちゃん・おばあちゃん)向けの膨大な資料作り 。
「あれ? 帰 れないじゃん!! 全然定時じゃないじゃん!!!」と思う毎日。極め付けは、消えた休日です。「土日は休み」なんて幻想。地域のイベント、館の行事、お祭りの設営……。
むしろ土日こそが本番。平日の夜は資料を作り、土日は現場で汗を流す。
でも、今振り返れば、この「泥臭い現場」こそが私の血肉になっています。おじいちゃんやおばあちゃんの要望を丁寧に聞き、どうすれば町がもっと良くなるか、どうすれば資料が伝わりやすくなるか 。
そんな社会人 1 年目のボロボロな私に、母は追い打ちをかけてきました。
「あれ、お役所仕事って定時で帰れないんだね〜!でもいいじゃん!残業代もちゃんとつくんでしょ? Sowa のお給料が上がったら、ママにルイ・ヴィトンの財布買ってほしいな♡ あ、今月のお金まだもらってないよ、ちょうだい!」
……え、私はあなたのお財布じゃないんですけど!?(怒)
私が社会人になって父の扶養から抜けたことで、父の手取りが月 3 万円減ってしまったそう。それを補填するために、毎月 3 万円を家に入れるというルールに。
「洗濯もしてあげるし、ご飯も作ってあげる。家賃と光熱費を考えたら、
3 万円なんて安いもんでしょ!」
母にそう言われれば、確かに一理あるのか。ありがたいな。
でも、私の血と汗と涙の結晶である 3 万円が、目の前で母のお酒や飲み会代に消えていく。
その光景を見るたびに、胸の奥がスーッと冷えていくような、虚しさを感じていました。
「このまま実家にいたら、お金も心も無くなってしまう 」
得体の知れない恐怖が私を襲いました。この「家族とお金」のリアルな葛藤については、また別の記事でじっくりお話ししたいと思います。
でも、この「今のままじゃいけない」という強烈な危機感が、私を次のステージへと押し出す強力なガソリンになったのです。
……そんな「どん底の孤独、絶望の休日、母への不信感」という三重苦の中にいた私を一変させたのが、東京オリンピック・パラリンピック事業への参画でした。
「閉塞感のある今だからこそ、行政としてできることがあるはずだ」
そんな熱い志を持つ大先輩に推薦していただき、国内外のトップアスリートをサポートする最前線へ放り出されたのです。
そこで担当したのは、市の公式 SNS を通じた全世界への発信。
尊敬する先輩方にご指導いただきながら、「どうすれば選手の魅力が伝わるか?」「この街の熱量を世界に届けるには?」と、スマホとカメラを手に走り回り、MC として身だしなみを整え、原稿を暗記し、撮影隊への指示、動画編集、SNS 運用まで、PDCA を回し続けました。
さらには、ドームで開催されたマラソンイベントの司会という大役まで。
数千人の視線が集まるステージの袖で、足が震えるのを隠しながらマイクを握ったあの緊張感は、今でも忘れられません。
そして、多忙な合間を縫って IT スキルやまちづくりの本を独学していたあの頃の「1 分 1 秒を惜しむ最適化思考」が、今の私を支える最強の武器になったと思っています。
私は行政の仕事を通して、私は大切なことを学びました。
華やかな舞台の裏側には、凄まじいまでの準備と、泥臭いトライアンドエラーが積み上げられているということ。そして、市民一人ひとりに、それぞれのペインがあるということ。
孤独だったコロナ禍の入庁時期を経て、ようやく見つけた「人と繋がり、誰かのために全力で走る」という情熱。その姿を見て、私の中にあった「仕事=慣れてこなしていくもの」という概念は消え去りました。
市役所は、私にとって単なる「職場」ではなく、プロとしての根性と思考の深さを叩き込んでくれた、最高の修行の場になりました。
ご指導くださった先輩方には感謝の気持ちでいっぱいです。
母には、市の活動を通してはつらつとしてきた私の様子を見てこう言ってきました。
「ね!市役所入ってよかったでしょ!だからママ言ったじゃーん!」
……尊敬する先輩方のご指導のおかげですけどね!!!
でも、この呑気な言葉でさえ、「いつか自分の力で見返してやる!」という静かで消えない情熱に変えていたのかもしれません。
本日も最後までありがとうございました!
このブログが、今何かに悩んでいる方や、一歩踏み出そうとしている方の力に少しでもなっていたら嬉しいです😊
「正しく導いてくれる人に学び、一心に努力すれば、自分も世界も変えられ
る」
あの ボロボロだった市役所 1 年目の自分に、今の私からそう伝え
てあげたいです(号泣)
次回以降のテーマ
・「市役所を辞める」と言った時の、衝撃の母の反応
・「利他行」という名の、価値観の押し付け
・「うちは貧乏なんだから、子供が生まれてもお祝い期待しないでね」
・ 消防団に戦略的に入団した理由
・ NIPT検査で気をつけたいこと
またこのブログでは、
• ゼロからブランドを立ち上げる、経営のリアル
• 元公務員×最適化思考で紐解く、育児とキャリアの両立
• 中国人の夫と、これから生まれてくる新しい命との日々
などについても記録していきます。
理想のキラキラには程遠い私の実録。
でも、そんな過去があるからこそ、今の私は自分の人生を楽しめている気がします!
「誰かの妻」や「誰かのママ」というラベルを大切にしつつ、
「私」という個性を 100%生き切る。そんな物語を現在進行形でお届けしていきます。
それでは、次回の更新でお会いしましょう!😊
ありがとうございました!
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